近代モンゴル語の文学的表現はナツァグドルジによって形成されたと言える

社会
b.dagiimaa@montsame.gov.mn
2026-04-23 13:15:14

(ウランバートル市、2026年4月23日、国営モンツァメ通信社)近代モンゴル文学の創始者であり、今年は偉大な文豪であるダシドルジ・ナツァグドルジの生誕120周年の節目を迎えている。ナツァグドルジの科学研究委員会の言語研究室の研究員を務めていた時期に焦点を当て、モンゴル科学アカデミー(MAS)言語・文学研究所の所長であるO.シネバヤル博士(准教授)に話を伺った。


――科学機関の創設初期において、ナツァグドルジはどのような役割を担っていたのでしょうか。特に、1935~1936年にかけて「言語研究室の主任」を務めていた際、どのような仕事を成し遂げたのでしょうか。


ナツァグドルジの知識や技術、そして残した業績を振り返ると、非常に多岐にわたる分野に尽力していたことが分かります。母国語に精通し、古文書の研究にも深く携わっていたナツァグドルジは、同時に欧州の言語や文化にも明るい人物でした。そのため、モンゴル語・文字の発展やラテン文字化の規則策定、更にモンゴル語解説辞書の基礎作りにも参画しました。1936年に言語学研究室の主任に就任すると、物理学、化学、政治、経済、軍事、医学、技術、書誌学など、各分野の用語制定作業を指揮し、自らも実務に携わりました。また、1930年代に同氏が編纂した「独蒙辞典」は、1万語以上の見出し語を収録した546頁に及ぶ手稿であったと伝えられています。更に、科学研究所に勤務していた1931年に、雑誌『シネチレリーン・メデー(革新のニュース)』の発刊計画を立案しました。ナツァグドルジは、この雑誌の目的を「科学、文学、経済の発展と研究」と定義し、掲載する記事の内容や執筆者のリストに至るまで、詳細な構成案を作成していました。


これは、現在の科学新聞や学術雑誌の先駆けとなったと言えるでしょう。その後、1935年に同研究所が雑誌『シネ・トリ新しい鏡)』の刊行計画を立てた際にも、ナツァグドルジは委員会の一員として名を連ねました。また、1929年のモンゴル作家同盟の創設に尽力したほか、1931年にモンゴル革命作家協会(МАРЗ)の出版責任者に選出されました。そこでも文芸誌『МАРЗ』の構想を練り、執筆者や内容の割り当てまで細かく決定していました。


また、わずか1年の間に全3章60項目以上からなる「モンゴル語およびラテン文字化の規則」を書き上げ、出版の準備を整えました。これは1930年代に試みられたラテン文字導入の先駆的な取り組みを反映したものです。この規則は1932年1月、科学研究所の評議会で審議にかけられたと記録されています。その際、ナツァグドルジは外国人学者の著作を参考にするだけでなく、中央ハルハ方言をはじめとする各地の方言を調査して取り入れました。残念ながら、この著作の現物は現在見つかっていません。他にも、モンゴル語の類義語辞典の編纂に着手して言語の洗練に努めたほか、ロブサンダンザンの『アルタン・トブチ黄金史)』の出版準備も進めました。加えて、モンゴルの社会・政治・科学界の重鎮であり啓蒙思想家・学者でもあったJ.ツェヴェーン氏と共に、イェロー地方に滞在した際、民族学に関する資料を収集し、古代の民話や伝説、口承文芸の記録にも取り組んでいました。


モンゴル語学および文学研究におけるナツァグドルジの多大な功績として、文学・言語学に用いる約1000語の学術用語を整備したことが挙げられます。同氏はラテン語やギリシャ語を語源のベースとし、そこにモンゴル語、ドイツ語、ロシア語を対照させたリストを作成・校閲し、出版直前の段階までまとめ上げました。それだけでなく、ナツァグドルジは科学研究所の評議会で審議を経て決定を取り付け、この著作を『言語学用語集』と名付けました。1935年に出版へ回されたことが研究所の報告書に記録されています。しかし、完成していたはずの同作品も、現存しません。というのも、ナツァグドルジが政治的迫害を受け、投獄された際に所持品を没収されたことが原因であると考えられます。


1931~1932年にかけて使用されていた同氏の「手帳(folklore)」は、現在もモンゴル科学アカデミー言語・文学研究所に保管されており、最も価値のある遺産の一つとなっています。


歴史学博士のA.オチル教授とG.ダシニャム教授は、ナツァグドルジの多言語辞典が、当時の出版技術の制約からモンゴル語・ロシア語辞典へと形を変えて発行された経緯を記しています。また、S.ロチン作家は「ナツァグドルジは現代用語学の創始者であり、その最初の成果が1000語に及ぶ言語学用語辞典である。1924年に国語用語委員会が設立された後、1931年にモンゴル初となるラテン・ロシア・モンゴル対照辞典が発行された」と記録しています。