ホルツ氏:大統領制と議院内閣制を巡り、10日間以上議論した

政治
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2026-01-13 13:28:47

— 憲法記念日に捧ぐ ―


(ウランバートル市、2026年1月13日、国営モンツァメ通信社)民主的な新憲法は審議を経て、1992年1月13日に可決された。同過程には、全国各地から選出された430人の代議員が参加した。ここで、民主的な新憲法の可決に関わり、意見や立場を表明した元人民代表大会代議員兼労働英雄のCh.ホルツ氏の回想を紹介する。民主憲法第287選挙区代議員のCh.ホルツ氏は、自著『民主憲法制定者ら』の回想に以下のように記している。


1989~1992年は、社会主義体制から市場経済への移行が進み、全国に新たな政治的雰囲気が生まれ、民主化への国民の願いが高まった時期であった。この動きは、民主的な法の支配と人権尊重を重んじつつ、国家・歴史・文化の伝統を継承し、祖国に人道的民主社会を築くための新たな民主的選挙の実施で始まった。


1990年の民主的選挙は非常に独自で公正なものであり、国民が民主主義を確実に推進できる代議員を選ぶ選挙であった。例えば、私はウランバートル市バヤンズルフ区およびスフバートル県を含む第287選挙区から立候補し、83%の票を得て人民代表大会の代議員に選出された。この経験は、憲法審議において私を奮い立たせ、積極的かつ自主的に活動する機会を与えた。


新憲法の原案は人民代表大会の代議員に配布されたが、審議開始後は「大統領・内閣・議会・司法」と「議会・大統領・内閣・司法」という二つの枠組みが並行して議論された。400人以上の出席者が、午前9時から午後7~8時まで会議を重ねた。要するに、大統領制と議院内閣制を巡って、実に10日間以上に論争が続いた。


その結果、O.ダシバルバル氏が率いる「無所属議員グループ」が186人規模で結成された。同グループは、匈奴帝国の国家体制および国家制度の起源と発展、チンギスハーンおよびモンゴル諸王朝の国家統治、更にジャブザンダンバ活仏8世の統治に至るまでの歴史的理念を踏まえ、憲法への反映に取り組んだ。


私は同グループの活動に積極的に参加する決意を固め、専門の法律家の助言を受け、関連資料に目を通すとともに、グループのメンバーによる討論や意見交換を行っていた。当時、私自身の法学的素養は十分ではなかった。しかし、私の娘であるH.オユンツェツェグは、経営開発研究所で政治・法制度の講師を務め、ドイツ語と英語にも堪能であったため、当時の欧米における国家体制の長所や短所について日々情報提供を受け、それをグループの議員らに説明していた。


無所属議員グループの理念は人民代表大会の審議過程で形成・確立され、執行権を中心とする「大統領・内閣・議会・司法」という権力分立の実現に向けて取り組んだ。その結果、国民全体の代表としての大統領を置くことを定めた憲法第30条を盛り込むことで合意に至った。モンゴル人民革命党党首のB.ダシヨンドン氏を始め、G.オチルバト氏、E.バトウール氏、R.ゴンチグドルジ氏、ダ.ガンボルド氏、B.チミド氏、S.トゥムル氏、O.ダシバルバル氏、Ch.ホルツ氏は、同合意を最終決定するための案を協議し、本会議で採択を受けた。従って、将来、モンゴルで大統領制および独立した司法権が確立される最初の一歩が踏み出されたと受け止められた。




ホルツ氏は、スフバートル県ハルザン郡の初等学校およびバローンオルト市の中・高等学校を優秀な成績で卒業した。旧ソ連のモスクワ大学地質学部で、鉱床探査、鉱山工学、地質学を専攻し、技師・地質学者として学位を修得した。