モンゴルでリハビリをより広めたい
インタビュー
(ウランバートル市、2025年12月4日、国営モンツァメ通信社)国際医療福祉大学卒のモンゴル人初の理学療法士バトチメグ・テムーレンさんに、日本で留学経験、貴重な思い出、これからの志について話を伺った。
――自己紹介のほどお願いします。
バトチメグ・テムーレンと申します。小学校3年生から卒業まで、日本に住んでいた。来日した理由は、母が博士号を取得するためである。
――第一言語は日本語ですね。
そうである。小学校一年生をモンゴルで終える前に、来日したため、モンゴル語は話せるが読み書きできないのが問題になっていた。
――日本へ留学したきっかけは何でしょうか。
日本語ができるし、日本に馴染みがある。自分の本当にやりたいことを見つけて、将来の仕事に直結する勉強をしたかったからである。
――なぜ、理学療法士を選んだのですか。
千葉県の国際医療福祉大学を卒業し理学療法士になった。理学療法士というのは、リハビリ専門職種である。理学療法士の中でモンゴル人でおそらくはじめてである。小さい頃からバスケやバレーなどスポーツが大好きで、高校の時に「スポーツと医療、両方に関われる仕事はないか」と考えた時に理学療法士を知った。当時のモンゴルではほとんど知られていない職業だったため、「これを勉強して母国に持ち帰りたい」と思ったのがきっかけである。
――日本留学で得たものは何でしょうか。
一番みについたモノは、患者さんとの接し方である。理学療法士という職業の特徴として働いているときに、患者さんと結構近い。そのときに、皆さんとどうやって接していくか。たぶん、モンゴルにはまだ進化していない患者さんと接し方、道徳についてよく学んだ。具体的には、絶対、患者さんの目線の下にいること。目線より上であれば態度の大きくなってしまう。
――モンゴルで働いてみていかがですか。
最初に感じたのは、やはり、リハビリというものがあまり馴染みがなかった。そんな中でどうやって人々にリハビリに関する理解を広めようか問題であった。
――この3年間を振り返るとどう感じますか。
一番最初の頃より、運動へ抵抗がなくなっているように感じる。その原因として一番の理由は、モンゴルの年齢層が低く若い人たち多い。その若者は運動に興味があったり、普段からやっているので、その影響もあるかと思う。
――留学中に行き詰った経験はりますか。
大学1年の解剖学などの専門用語が本当に厳しかった。子ども時代に住んでいたとはいえ、医療の日本語は別次元である。とにかく毎日覚えるしかなく、必死で乗り越えた。
――次世代へのアドバイスをお願いします。
一番目、けっして頭がよかったわけでない。それでもできたのは、毎日ちょっとでも勉強することは大事である。たとえ、一日だけでも休もうとしたらだめである。ちょっとだけのことでも毎日やる。二つ目は、自分の好きなことをやる。自分がやりたい職業、将来も続くなので、好きなことを追求する。
――心に残っている貴重な思いで何でしょうか。
大学の先生である。自分がその大学発初のモンゴル人留学生であった。勉強も生活も人生相談もすべて受けて止めていただいた。あの先生がいなければ今の自分はない。

――日本人とモンゴル人の違いについて教えてください。
モンゴル人は好き嫌いがはっきりしている。この点は違うと思う。
――日本人と上手く接するコツありますか。
相手が言いたいことをしっかりと考えるべきある。例えば、日本人は日常的に人といい接し方をしないといけないということを小さい頃から身についている。そのため、本当に言いたいことを言えない人もいたり、言いたくないことを言ってしまう人もいたりするので、本当に言いたいことを聞くのが大事であると思う。
――これからの志についてお願いします。
職業である理学療法士もリハビルもモンゴルでより広めていきたい。今働いている職場で、短下肢装具というものをひろめていきたい。モンゴルにはまだなかったので、日本とは少しやり方は違うが、その人の足をスキャンして3D上で出して、その足の形にあわせるようにこのデザインを出している。
――日本の皆様へ一言をお願いします。
日本は幼少期と大学時代、2度にわたり日本にお世話になった。特に「人との接し方」、「謙虚さ」、「相手を思いやる心」は、日本と日本人から学んだ最大の財産である。本当にありがたいと思っている。これからもモンゴルと日本の架け橋になれよう頑張る。
――ありがとうございました。
Ulaanbaatar