アーンダー氏:モンゴルの舞台で海外の仲間とバレエのガラ公演を開催したい
社会
(ウランバートル市、2025年8月6日、国営モンツァメ通信社)世界の舞台でバレエ芸術を広めているモンゴル人バレエダンサー、エ.アーンダーさんが夏休みの帰国中にインタビューを伺った。
米国・コロラド州で生まれ育った同氏は、5歳のときにバレエを習い始めて以来、一貫して努力を重ねてきた。国際的なコンクールでも優れた成績を収め、海外のバレエ団からも高く評価されている、数少ないモンゴル人バレエダンサーの一人である。現在はドイツ・ザールラント州にあるクラシック芸術劇場でプロのバレエダンサーとして活躍している。
―― クラシックバレエの世界に足を踏み入れたきっかけは何だったのでしょうか? また、ここまでの成功において、ご家族の支えが大きかったのではないでしょうか。
5歳のときにバレエを始めた。それ以前は、歌や絵画、ゴルフ、水泳など、いろいろなことに興味を持っていたが、中でも体の動きで感情を表現できるバレエに強く惹かれた。最初の先生はロシア人で、厳しい中にも多くのことを学んだ。その後、ワールド・ダンス・スクール、コロラド・クラシック・バレエ、デンバー芸術学校で基礎を学び、更にサンフランシスコ・バレエ・スクールに進学した。2021年に同校を卒業し、シカゴの『ジョフリー・バレエ』で2年間研修を受けた後、現在はプロとして舞台に立っている。
最初は、バレエがこんなにも厳しく、また多くの費用がかかる世界だとは知らなかった。例えばトウシューズは、一日使っただけで履けなくなってしまうこともあり、1足で100㌦もする。そんな中、両親は私のために懸命に働き、高収入の仕事を目指して努力してくれていた。その姿を見て、私自身も決して諦めずに努力し続けようと決意した。私のすべての成功の背後には、家族の深い愛情と支えがある。
両親は1998年にモンゴルから米国に移住し、私を愛情いっぱいに育ててくれた。両親はいつも私のそばにいて、どんなときも応援してくれた。その支えがあったからこそ、今の私がある。私の家族は社会活動にも積極的で、その姿勢は今も変わっていない。
ーーバレエダンサーとして舞台に立つうえで、美しさや才能、均整のとれた体型が求められるとよく言われます。あなたが選んだバレエという職業の、最も大きな特徴は何だと思いますか?
バレエは“音のない演劇”だと思っている。言葉を使わずに、体の動き、表情、ジェスチャーで感情やストーリーを表現する。
一方で、コンテンポラリーダンスは、私にとってもっと自由な表現ができる場でもある。一方、クラシックバレエには、舞台に立った瞬間に自分の持てるすべてを注ぎ込まなければならないという、張り詰めた緊張感がある。一度ミスをしてしまえば、やり直しはできない。
だからこそ、自分を限界まで追い込むこと、より高みを目指そうとする気持ち、それがとても美しいと感じる。バレエには“到達点”というものがなく、生涯をかけて学び続ける芸術である。どんなに優れたソリストでも、成長の余地があり続ける。だから私は、バレエこそ“学びの美しさ”を体現している芸術だと思っている。
私自身、これまで学んできたことを次の世代に伝えたい、バレエを愛する若者たちに少しでも刺激を与えたいという想いがある。いつか自分なりの形で、モンゴルのバレエや舞台芸術の発展に貢献できたら嬉しい。
私は海外で生まれ育ったが、モンゴル人であることをいつも誇りに思う。初めて自分で振付けたモンゴル舞踊では、民族文化の要素を取り入れたところ、外国人の観客からとても高い評価をいただいた。それが自信にもなり、創作の幅が広がっていった。
モンゴルに帰国する前には、『The HU』の音楽とモンゴル舞踊のリズムを融合させたコンテンポラリー作品を振付けた。舞台の背景には、モンゴルの雄大な自然を映し出したが、それがとても好評で、観客の方々から『モンゴルに行ってみたい!』という声をいただいたのがとても印象的であった。
ーーバレエダンサーの方々は、人生の大半を舞台の上で過ごされると思いますが、リハーサルの合間やオフの日はどのように過ごされていますか?
私は普段のほとんどの時間をバレエに捧げているが、それ以外にも写真を撮ったり、旅行したり、登山やヨガを楽しんだりと、たくさんの趣味がある。
バレエという芸術は、60%が頭脳と精神、残りの40%が身体の動きでできていると感じている。そのため、脳を休ませる時間を大切にしており、自然の中に身を置き、山や川を眺めるのが好き。私が住んでいた米国・コロラド州には、標高4200㍍以上の山が58座ある。全米でも70座に満たないこの高峰のうち、私はこれまでに12座を登った。それは私の誇りでもある。
今回、久しぶりにモンゴルに戻ってきて、自然の美しさからたくさんのエネルギーをもらっている。