チョローン:モンゴルの馬は外交政策における重要な象徴となってきた

社会
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2025-07-13 12:17:55

「世界馬の日」に


(ウランバートル市、2025年7月13日、国営モンツァメ通信社)「世界馬の日」の意義や、モンゴル馬が歴史の中で果たしてきた役割について、S.チョローン・チンギス・ハーン国立博物館の館長兼アカデミカ会員が次のように語っている。


ーーモンゴルだけでなく、世界の歴史において馬が果たしてきた役割とは何でしょうか。


モンゴルの遊牧民は、馬を最も大切にしてきた。モンゴル帝国の驚異的な成功の大きな要因の一つは馬である。遊牧民は馬なしでは想像できない。なぜなら、当時は馬が世界で最も速い移動手段であったからである。つまり、モンゴルの遊牧民と軍隊は、二つのものを手にしていた。一つは、当時としては最先端の技術を取り入れた、最も遠くまで届く武器。もう一つは、最も速い乗り物・馬である。


モンゴルは2000年の歴史の中で、馬の力によって遊牧民の文明を独立した文明として確立し、その古典的な形を現在まで保ってきた民族である。匈奴の時代に使われていた馬具や馬にまつわる習慣は、今日に至るまでほとんど変わっていない。これはモンゴル人の最大の名刺とも言えるものである。


馬はモンゴル、そして遊牧民にとって戦略的に重要な存在であった。モンゴル帝国の時代には、現代の技術でも越えるのが難しいとされる3000〜5000キロの距離を移動できたのは、馬であった。


1990年以降、モンゴルでは国賓としての公式訪問の際に馬を贈る習慣が続いている。これは偶然ではない。モンゴル人は最も敬意を表する来賓に馬を贈り、友好関係の象徴としている。1913年には、当時のT.ナムナンスレン首相がロシアを訪問し、ペテルブルクからクリミアまで移動した際、ニコライ2世に対して8頭の白馬を贈った。モンゴルの馬は外交政策における重要な象徴となってきた。そのため、単なる実用的な役割にとどまらず、世界の平和維持やモンゴルの独立の防衛に大きな役割を果たしてきた。


ーー今年、初めて「世界馬の日」が祝福されましたが、この日の意義についてどう考えですか。


この日は、馬を飼うすべての国が自国の馬を誇りに思っている。済州(チェジュ)の人々は小型馬を、トルクメンは有名な馬を、アラブはアラブ種の馬を、ロシアはトムスク種の馬を誇りにしている。モンゴルでも馬の文化遺産を誇りに思い、モンゴル馬についてより深く知る機会となっている。


朝日が昇り夕日が沈む広大な大地を駆け、ユーラシアの広い地域を渡った馬は、世界でモンゴルの馬以外に存在しない。どんな優れた品種の馬でもなく、ただモンゴルの馬だけが、広大な砂漠やユーラシアの広大な草原を越えることができた。カフカス山脈を越え、天山を乗り越え、万里の長城に迫り、突破した。さらに東は朝鮮半島まで達した。これほど広大な地域で歴史的役割を果たした馬は、世界で唯一のモンゴル馬である。同馬を現在まで純粋な品種として守り育ててきた先祖に感謝しなければならない。


モンゴル以外に、自国の馬を「宝石のような宝」と称する民族はいない。「世界馬の日」は、人類が馬を称え、モンゴル人がモンゴル馬を理解し、その重要性を改めて実感する日である。


ーー考古学の出土品の中で、馬に関係する特徴的なものにはどのようなものがありますか。


考古学の出土品の中心は馬と馬具である。最近では、ホブド県ミャンガド郡の地域から、中央アジアの歴史の中で最も古いとされる古典的な鞍が発見された。これは約1700年前、ジュジャン(柔然)国の時代の馬具である。契丹時代の完全な馬具が、そのままの形でホブド県から発見されている。また、モンゴル帝国時代の古典的な鞍も見つかっている。昨年、スフバートル県からは、元(モンゴル帝国末期)時代の貴族女性の火の鳥(フェニックス)を描いた純銀製の鞍が出土した。現在、当館には馬の歯で作られた鞍や金の鞍も所蔵している。モンゴルのハーン(王)や貴族、武将たちは、自らよりも馬を飾り立て、敬意を払っていたことがわかる。