ウイゼンマー映画監督: 自由に生きていくことの価値観

カルチャー
gombosuren0625@gmail.com
2020-12-01 17:44:01

 昨年、ヴィラオーロラ奨学金を受けたB.ウイゼンマー監督の「ハ ル・ス―」(黒いミルク)という新しい映画がモンゴルで上映されてから、数週間経っている。「ハル・スー」映画は自由主義及びフリーマインドに関する幅広いテーマに触れる。一方、ゴビ地域に住む遊牧民の生活ぶり、その特徴も理解できる。ウイゼン マー監督は子どもの頃からドイツに住み、現在も在住。2004年~2006年間、フランクフルト市の近くにあるマインツ大学でフランス語と歴史を研究した。その後、ドイツの有名な大学であるミュンヘンテレビ・映画大学を卒業した。彼女は2015年にミュンヘン国際映画祭で、国際音楽映画批評家協会のFipresci賞、スペインのタラゴナで開催されたREC国際映画祭のユニークな発想賞をそ れぞれ受賞した。また、彼女の監督による「そんな風に私を見な いで」映画はドイツの国際映画祭りで「若い優秀な監督」賞を受賞した。このように国際映画祭りなどで輝かしい成功を収めているモンゴル人のウイゼンマーさんにインタビューした。

 ――熟考して22歳の時、映画監督になろうと決定したのですね。当時、何を感じましたか。

 そんなに長く考えなかったで す。個人一人ひとりはできる限りのものをやっていきます。一 方、精神は生まれつきの力に引 かれるでしょう。私にとって映画芸術は自分の考えを自由に表すチャンスだとそもそもわかっていました。しかし、はじめは 思った通りではなかったです。 ある行動の実験、あるいは未成 熟さを感じました。しかし、こ れには映画芸術を通して新しい ものを作る、他のものを探る意 味が存在すると思うようになりました。私の気持ちを映画芸術の方に向けたのです。そのため、一歩ずつ歩まなければならない。当時、そう思いました。 未だにこの考えはあります。私 は子どもたちをよく観察します。子どもたちの本能、感覚を通して、自分の想像を広めようとしています。

 ――ご家族は芸術分野の人々ですが、他の専門を選ぶ機会もあったでしょう。

 私の考えでは世界中の各人が芸術家です。しかし、大方の人々は既成概念にとらわれらず、自分の考えを自由に表すことができないでいます。私の両親は自由に生きていくこととその価値観において理想的な人々でした。人間が住んでいる社会、環境の影響で、我々は無意識に 固定概念に囚われてしまいます。両親は精神、思考で固定概念を破って生活する実例でした。自由を尊重し、生きていく価値を自らの視点で見ようとしていました。いつも私に選択を委ねます。

 ――芸術のどんな種類でも制作者の思い出、生活に関係すると思います。ウイゼンマーさんの監督による「ハル・スー」映画を見て、ゴビで育ったかなと思いましたが...。

 ゴビは本当に素晴らしいです。 私はゴビを最も深く知りたいです。ゴビは私に元気をくれます。 少しでも知るのに、長い時間かかるでしょう。長生きすれば、最も深く理解し、認識するでしょう。だから、お祖母さんになるのが楽しみです(笑)。


 ――「ハル・スー」映画は、 文明による移動から戻る女性が描かれる。これは文化の違いより、何かを盲目的に信じる保守主義に反対する意味があったと思います。こんな大きなトピックに触れ、映画を作ったきっかけは何ですか。

 この映画の登場人物の一人であるオッシーは、お姉さんのワッシに「あなたの伝統って、悪いことです」と一回言います。 オッシーは疑いはじめ、「彼女は真実を言っているのか、それとも私は間違っているのか」と自問します。

 ――文化遺産、伝統、習慣とは意味のないということですか。

 もちろんそうではありません。しかし、意味のないものでもありえる。悪いコミュニケーションは人々がお互いを傷つける唯一の理由です。他人よりも自分を優先して、人を判断しようとするのは非常に悪いことでしょう。習慣と伝統を否定し、善悪を判断することができます。しかし、その前に、自己を否定し、少なくとも一度は自分自身を批判する勇気と力を持つ必要があります。

 ――「ハル・スー」映画の主人公であるオッシーが自分の身体にミルクをかけているシーンは美しいシーンでした。ウイゼンマーさんにとっては一番好きなシーンはどんなシーンですか。

 映画撮影と映像編集のすべての段階で一緒にいるので、どんな部分でもはっきりと覚えています。しかし、映像を編集する 時、嫌になる、愛情いっぱいのシーンもあります。たまにゴミ 箱に捨てたくなります。また、突然、気分がよくなる時もありました。

 ――「そんな風に私を見ないで」と「ハル・スー」映画では混沌とした行動に秩序だった見方が含まれているように感じま す。これについては。

 映画の言葉、つまり表現方法はとても面白いです。映画はわりに若い芸術です。創立してからわずか100年の歴史です。そのため、人間が文明化するプロセスの中で、歴史、政治な どの影響を受け、映画の言葉はどのように作られ、公開しているのかが面白いです。例えば:マリア・ファスベンダ ーという1970年代の映画監督の映画を見るたびに、当時の世界と人間の感覚を知るができ ます。もし、私がいい映画を作ったというと、50年後に、現在のことをもっと知りたいと思っている方は私の映画を見るだろうと思います。

 ――-心の中にある表現できない気持ちや想像力を映画で表現できますか。

 はい、できます。映画にはルールはありません。試してみないと実現しないで、自分を表すことができないです。しかし、表現できないことがあなたに役立つかもしれません。

 ――「ハル・スー」映画は国際映画フェスティバルなどに上映されますか。

 この映画はベルリナレ国際映画祭りで上映されました。その後、サウジアラビアで開催される「Red Sea」映画祭りに参加す るため、飛行機チケットまで買っておいたのです。数年後に男女の観客が一緒に座り、映画を見る歴史的な出来事が起こるはずだったが、コロナウィルスの影響でこの祭りは中止となりました。私にとって待ちに待った 祭りでしたのに。また、日本、 台北、イスラエル、アメリカで の数多くの映画祭りに招待されましたが、ほとんどが中止され、一部の祭りにはオンラインで参加しました。本当に残念です。映画祭りで上映され、観客及び評論家に評価を受ける機会がなくなりました。「ハル・ス ー」映画はもうすぐ香港で上映されます。その後、タリン、バ ルセロナでの上映を予定しています。パリでの上映はキャンセルされました。現在はノルウェー国で上映されています。実は次回作に注目するのが一番いいと思います。

 ――誰かのために、映画を作ったことは?

 私は人々とお話するのが好きです。映画はこれと同じです。 映画を通して観客とお話できるというわけです。つまり、画面と観客はお互いに話し合いま す。映画技術はいつも生きています。いつも存在しています。


 ――今後、演劇脚本を書きますか。既に書きあがった演劇脚本はありますか。

 もちろん書くと思います。他の人の演劇に出演することも可 能です。演劇脚本に興味を持って、よく読みます。

 ――ウイゼンマーさんは 「Himmеl Voller Geigen」映画 ではバイオリンの先生と一緒に 「ザダガイ・ツァガーン」という歌を歌うシーンがあります。 当時の感想については?

 このお祖母さんはすごい人でした。私は歴史にすごい興味を持ちます。ドイツ、第2次世界大戦、ナチスなどについて。第2次 世界大戦の時、バイオリンの先 生のお祖母さんは13歳の子どもでした。まったく違う時代に子ども時代を過ごしました。この映画を通して、このお祖母さんとコミュニケーションを取りたかったです。最初はあまり共通点がなかったようですが、類似点が多いことに驚きました。私は26歳で、彼女は89歳でした。だから、私たちは一緒に1933年にさかのぼりました。このお祖母さんに起こったことすべてを経験したような気がしました。目で見て、感じることができたので、ドイツの歴史をよりよく理解しました。

 ――ウイゼンマーさんのおじさんは映画監督だそうですね。映画監督を専攻するのに、おじさん、お父さんは影響しましたか。

 私はおじさんと一緒にいつも映画を見に行きます。映画が終わった後に、この映画について話し、何時間も熱心に議論しま す。当時、自ら映画を作るとは思っていなかったです。優れた作家になれると思っていました。ある日、おじさんが映画芸術大学に入るかどうかについて聞きました。

 ――モンゴルに住むつもりはありますか。

 いつもその希望を持っています。いつかモンゴルに住むチャンスが与えられると期待しています。モンゴルで制作した一番 最初の作品が「ハル・スー」映 画です。

 ――長い間、海外に住んでいて、母国へ帰国する時のわくわく感については?

 母国に到着して、飛行機を降りる時、優しい風が頬を撫でます。

 ――遊牧民を「本当の遊牧民」にするものは何ですか。

 青空の下で激しい暑さにも寒さにも負けず、一人暮らしをできる遊牧民がこの質問に答えられると思います。遊牧民の文化 が絶滅危機に瀕していることをよく知っています。地球温暖化、自然に悪影響を及ばす人的行動により、ゴビ地域は劣化しています。遊牧民と家畜を保護し、彼らに直面している課題を解決すべきです。遊牧民文化はモンゴルの基本的文化です。

 ――ありがとうございまし た。今後の活躍を期待しております。