山でヤク飼育の遊牧民

特集
gombosuren0625@gmail.com
2020-11-13 14:12:04

第1章

 チベットの山々、岩、崖の真ん 中に何千年もの間雪に覆われて住んでいた家畜の特定種はヤクである。ヒマラヤと並んで、ヤクはテンガー山の近くに住んでおり、アルハンガイ県、ウブルハンガイ県とフブスグル県の山岳地帯、ザブハン県とバヤンホンゴル県の森 林草原地域は、モンゴルの13県 132郡に広がっている。遊牧民のモンゴルの伝統的な家畜飼育のユニークな形態であるヤクの群れ、およびヤクの特徴についてさらに学ぶため、本紙モンツァメ通信社の記者チームは、ウブ ルハンガイ県バトウルジー郡ウラン・アム村に住んでいるスフバータル・バトチョローン遊牧民の家で1日を過ごした。 バトウルジー郡の領土の8割は、国家特別保護地区に指定されている。ここでは、森林、タイガ、谷の川、古代の火山岩および、岩の真ん中で空に向かって伸びる高い木が見える。同郡から、北西に向かってかなりでこぼこした難しい道路を渡り、2つの橋を渡った後、車は同じ困難な道を再び前進する。道路の両側に緑豊かな木々があり、周囲には高い山もある。オルホン川の水が北の山の斜面を騒々しく流れているので、ビトゥード渓谷は秋季には大いに魅力的に見える。広大な渓谷の終わりには、「ブーラグ」と呼ばれる夏営地がある。木々や岩の真っ只中で、ハルボロート川岸の夏営地に平和に住んでいるヤク家族の群れを見ることができる。遊牧民の家を見たとき、ヤクは見えなかった。まだ山から降りなかったのではないかと話し合いながら、私 たちはついにバトチョローン遊牧 民のゲルに到着した。この間、主人は家畜を連れて行って不在だったが、すぐに北西の丘の上からヤクを放牧しているのを見つけることができた。 私たちえを迎えてくれたのは主婦のCh.バトツェツェグさんだ。主人を見て、彼女は子牛に向かって歩いた。遠くでは、最後の太陽の光が山々を照らしていた。 新鮮な草の臭いと犬の吠え声が木々の間に響き渡った。これは、山岳牧草地に住む遊牧民の家族の家にのみ訪れるタイプの夜だ。平和と静けさの完全な状態は、時々いくつかの音によって中断されるだけだ。


第2章

 草原では太陽が赤みを帯びた光線で囲まれ、太陽が完全に昇っているのが見える。タイガに関しては、特にバトチョローン遊牧民のトーノ(屋根)を通して、太陽の光線は秋季の午前9時以降に輝いている。これは、ゲルのすぐ北にある厚い森に覆われた高い丘と山々によるものだ。木々の間から、太陽は時々その光線を「見せびらかす」。主婦のバトツェツェグ遊牧民が朝の仕事のほとんどを行うのはこの時だ。お茶を淹れる、沸騰した後に一晩放置されたウルム (沸騰乳の皮膜)を取り、そしてヤクを搾乳する次の仕事に急いで行く。バトチョローン主人に関しては、彼は子牛を群れから分離する任務を割り当てられている。


彼らは4人家族だ。彼らには、ボドドラムという名前の5歳の娘と、まだ1歳になっていないボトビルグという名前の息子がいる。 「あなたが大きくなったとき、私の仕事を手伝ってくれるでしょうね?」とバトツェツェグさんは息子を持ち上げ、頬にキスをして言った。彼らの家族には約80頭のヤク、300頭の羊と山羊、そして20 頭の馬がいる。毎年、彼らは約30 頭の子ヤクを受け取る。


しかし、今年の夏はあまり良くなかったので、彼らはほとんどの子ヤクに牛乳を飲ませ、母親のヤクを搾乳するのに7頭の子ヤクだけをつないだ。この地域の遊牧民の家族にとって最大の困難の一つは、捕食 動物に関する問題である。オオカ ミは山岳地帯でよく見られ、1年で受け取った子ヤクの半分はしばしば彼らに食べられてしまうとバトチョローン氏は言った。「ヤクは凶暴な動物だが、動物が子ヤク を守るのは自然な本能がある。ゲルのすぐ外に連れて行って保護しようと努力したにもかかわらず、子ヤクは常にオオカミに捕まることになる」と彼は続けて述べた。ヤクは山岳地帯の厳しい気象条件での生活に適応している。その自然の生息地は通常、崖や岩がたくさんある川と山の間の谷であるため、モンゴルのヤクを育てる利点は、種が牧草地の環境収容力に悪影響を与える可能性が非常に低いことである。 ヤクの搾乳が終了すると、バトチョローン氏を乗ヤクと荷積みに使用する雄ヤクを分離し、囲いに 入れた。家族は、早い段階から冬に備えて、小さなゲルを秋営地に 移すことに決めた。ヤクを捕まえ たとき、私はバトチョローン氏がヤクを凶暴な動物と話したことを理解した。他に方法がないため、革の投げ縄を使用してそれらをキャプチャする。ヤク革で作られたなげなわは、皮を細かく切って塩水に浸し、柔らかくなるまで平らにすることで作られている。近隣の家族のG.アユルザナとD.シーレブニャンボー氏らが、バトチョローン氏の移動を手伝うために到着た。約30分で、彼らは移動のに6頭の雄ヤクを捕まえ、囲いの前にある丸太に縛り付けた。雄ヤクはひどく大きく見えるが、鼻輪があるため、何かに縛られている限り問題ない。雄ヤクを牛と比較して、雄ヤクは約20~30%大きく、体重は50~60%多い。完全に成長した雄ヤクの体重は約400~450㌔だが、雌のヤクの体重は210~220㌔、2歳の雄のヤクの体重は220~250㌔である。ヤクの脂肪は、ビタミンAを生成するカロチンを多く含んでいるため明るい黄色をしており、その肉はミオグロビンによる酸化によ ってすぐに暗赤色に変わる。バトチョローン氏の家族に関しては、彼らは羊毛繊維と搾乳のに髪をとかすのと一緒に輸送のにヤクを使うだけだ。その非常にユニークな特徴のに、主にヤクを育てて繁殖させることに焦点を合わせていると彼は述べた。夏の間、バトチョローン氏はウブルハンガイ県に到着した観光客にヤクを使って、この地域の絶妙な自然の美しさを見せ、今シーズンの収入の半分を生み出している。ウラン・アム村の 市民は、到着した観光客に宿泊施設やヤクのサービスを提供するのが一般的だ。 今が昼食の時間であるため、そしてこの後、彼はCh.バトジャブ氏の家の北にある木々や岩のない 広大な土地でいくつかのヤクを飼 いならす予定である。ヤクを飼い ならすというニュースは、ビトゥード渓谷の家族全体に広まった。彼の友達は、電話を鳴らさなくてもすぐに現場に到着した。仲間同士の心温まる友情は、その瞬間から私たちに明らかになった。


第3章

 昨年、5万頭の万ヤク祭りが、 ウブルハンガイ県バトウルジー郡で開催された。その場所では、何百頭ものヤクが放牧しているように見える。これは谷で見つけることができる最も広くて広々とした土地であるため、ここでは、近くと遠くからの遊牧民が集まって、バトチョローン氏のヤクを捕まえ、誰がヤクの上にいることができるかを見て、バランスと素早い思考に挑戦する。「ヤクは非常に奇妙な跳ね方をする。ヤクと比 較して、馬ははるかに安定している」と彼らは語った。


次に、2歳の大きな白いヤクを投げ縄で捕まえて、鼻輪を入れた。鋭利な木の棒を使用して鼻を突き刺し、数日間そこに居させる。治癒すると、彼らは木を鼻輪に切り替える。これは、動物に乗っているときに動物を指揮するのに使用される。ヤクの鼻輪は繊維で作られている。ヤクウールの下には非常に細かい繊維がある。春季には、バトチョローン氏の家族が2~3歳のヤクを 30頭以上梳く。他のヤクについては、風になびくと自然にヤクウー ルを脱ぎ捨てる。梳毛により、 家族は平均一頭につき約20㌔の 毛と繊維を手に入れ、1㌔あたり1 万5000トゥフルグ以上で販売される。さらに、サドルに取り付けるバッグ、投げ縄、むながい、たつな、あぶみなどを作るのにヤク皮が使用される。皮を乾かし、柔ら かくなるまで平らにすることによって作る。ヤク皮はとても厚くて暖かい。人口9000人以上の市民と 33万6000頭の家畜を抱えるバトウ ルジー郡は、その家畜数の高い目 標の主要な郡の一つだ。同郡ウラン・アム村だけでも、約2000人の市民と12万2000頭の家畜がおり、そのうち2万6000頭がヤクだ。海 抜2400㍍以上に隆起しているこの 地域は、ヤクを飼育するのに非常 に適していると、同郡のL.バトチョローン副知事は述べた。若い遊 牧民らがヤクを飼いならし、それ らのいくつかに鼻輪をつけることを終えると、その日の彼らの主な 仕事は完了した。ヤクを川に放牧した後、バトチョローン遊牧民は馬に乗って家に帰った。

第4章

 ヤクの放牧地から戻って来た時、バトツェツェグさんはチーズを作り、後で乾かすためにアーロ ールを切っていた。「ヤクの牛乳は脂肪の割合が高いため、非常に濃厚だ。そういうわけで、4リットルの水に1リットルの 牛乳だけを使ってミルクティーを作ることができる。 牛乳を使った「シミーン・ アルヒ(家畜の乳から作られる伝統的な蒸留酒)」 も作れる。地元の家族は通常、群れの動物を探しに出かけるときに、子どもたち にいくつかのアーロールを与える。夕方になると「お腹が空いたり喉が渇いたりすることはない」と、切っ たアーロールをゲルに並べ て天日干しにした。この地 域の家族は北方向に移動する。


秋が終わると、彼らは 再び北東のバヤンノールという名前の場所に移動し、 冬季を過ごす。S.バトチョ ローン、G.アユルザナ、およびD.シーレブニャンボー らの主人らは、小さなゲル の分解を開始し、壁、オニ (棒)(屋根を構成するポール)、トーノ(屋根)の すべてのパーツを6頭のヤクに割り当てた。彼らは何 もしないで立ち止まることは決してない。一人は壁を 折り畳み、もう一人は壁とドアを結ぶのに使用される ロープを処理し、ヤクの近くに配置した。その真っ只中に、バトチョローン氏は すべてのタスクを主導し、 ヤクにゲルパーツを配置 し、首に鼻輪を緩く配置し た。 冬季の間は、雪などの障 害物が多いため、ヤクをつなげて一列に並べる。秋季 は、ゲルを運ぶヤクが自由に群がっている。興味深いことに、この特定の動物は、背の高い山々とその厚い森の浮き沈みを通して完璧なバランスで荷物を運ぶ ことができる。 秋営地は、ブールグ夏営 地からそれほど遠くない山の斜面近くの高台にある。 季節は涼しいのに周囲の木々が生い茂り、とても暖かいとのこと。バトチョローン氏は、放牧していたヤクを止め、投げ縄を使ってそれぞれを捕獲し、荷物を降ろした。我が社のチームは また、ゲルの組み立てに手を差し伸べた。 丘の上から北東を見ると、ハルボルツオート山の峡谷がある。森の厚いその 背の高い丘を越えて、ここから冬営地に移動する方法 を知っていない。私にはっきりしなかったもう一つのことは、ヤクがどのようにして 高いチベットの山々からモンゴルに移り住み、モンゴルの ゴビ砂漠を横切ったのかということである。私が確信した唯一の考えは、移動は 遊牧民の日常生活の一部であり、古代から現代のモンゴル人に受け継がれているということだった。そして今日まで、それはまだ取り残されたり、忘れられたりすることはない。 


第5章

 その日の早い時期に牧草地 に行ったヤクはまだ戻ってい なかった。それは私たちに、 太陽が北西の山を下る前に、 バトチョローン氏の家の北に ある木造の小屋で会う機会を 作った。彼は夏の間、畜産と 一緒に国内外の観光客にサー ビスを提供することによって 彼の家計収入を増やす。「多くの観光客がここブールグ 地に来て、ウブルハンガイ県 のナイマン・ノール(8つの 湖)の美しさを見に行く。しかし、今年はパンデミックの ために訪れる外国人観光客はほとんどいなかった。でも、 国内の観光客はたくさんい た」と彼が言った。テントや 洋服など、観光客が運ぶさま ざまな物を運び、ガイドも務める。ヤクの性格がわかりにくいので、ヤクを率いて観光 客には馬に乗ってもらう。彼 は1日のガイドワークに各観 光客から2万トゥグルグを稼 ぐ。馬とヤクは一頭に乗るの に1万5000トゥグルグと設定されている。 これにより、彼は年間平均 2000万トゥグルグ以上を稼ぐ ことができる。彼が1000万トゥグルグだけの利益を上げた のは今年だけという。彼は「 ホースバックモンゴル」旅行 会社と協力して仕事をする契 約を結んでおり、与えられた タスクに従って仕事をして支 払いを得ている。彼の家族 は、昨年の会社の新年会で、「トップ遊牧民家庭」賞を受 賞した。 話し合い中にヤクがやっと戻ってきたので、バトチョロ ーン氏は急いで主婦のバトツ ェツェグさんと一緒に動物の囲いに立ち寄り、子ヤクを母親から引き離した。繋牧ロープで頭を突っついている雄ヤ クもいれば、草をゆっくりと 噛んでいるヤクもいる。バト チョローン氏と彼の妻が子ヤクを囲いに縛り付けている間、ボドドラム娘は彼らの方向に迎えた。太陽はすでに 山の後ろに隠れているが、ま るで木のてっぺんから出てい るかのように、空の端に暖か い黄色の光線を広げ続けてい る。このようにして、ヤクの恩恵を享受している20代後半の若い遊牧民家族の一日を見 た。私たちの旅のハイライトは、若い男性同士の素晴らしい友情、彼らの親切で勤勉な 精神、そして遊牧民が作り出すことができた温かく居心地 の良い雰囲気であることに気づき感動した。


                                                                                                                                             モンツァメ通信取材団