収穫が豊富な秋の日々

経済
manduhai@montsame.gov.mn
2020-10-23 19:08:18

 

   今年、モンゴルは全国土の0.34%に相当する53万6600㌶に栽培を行なった。総耕地面積は前年比0.5%減少したが、小麦の栽培面積は4.8%、ジャガイモ16.7%、野菜26.7%増加した。耕地面積の9割に当たる36万4000㌶に小麦、6万1100㌶に植物油、5万2700㌶に飼料、1万8600㌶にジャガイモ、9600㌶に野菜を栽培した。10月1日現在、全国でジャガイモは20万5900㌧、穀物13万2500㌧、野菜7万8500㌧が収穫され、干し草50万6500㌧、飼料植物1万2100㌧、サイロ600㌧が貯蔵された。


小麦粉とジャガイモ国内需要を100%満たす

 年間国内需要を供給できる小麦粉を生産するには30万6000㌧の食糧用小麦と18万㌧のジャガイモ、25万1000㌧の野菜が必要である。今年の収穫の予測バランスによると、小麦の需要は100%、ジャガイモは140%、主要野菜の約60%、その他の野菜の45%を供給できる状況にある。今年は、小麦粉製造の主原料である小麦の栽培、成長、気象条件により、オブス、フブスグル、トゥブ各県の農産地で収穫量1㌶当り8.8~9.6キンタル(1キンタル=100kg)、ウブルハンガイ、セレンゲ、ドルノド県の農産地で収穫量1㌶当たり11.2~16.5キンタル、ダルハンオールとボルガンの農産地で収穫量1㌶当たり17.2~18.2キンタルの収穫が予想されている。



ガントゥムル社長:良い農地から20キンタル小麦収穫

 全国で収穫が進んでいるこの時期に、本社モンツァメ通信社の記者団は、トゥブ県の農業生産量の4分の1を生産する同県ツェール郡を訪れ、収穫プロセスを視察した。ツェール郡の二大小麦栽培会社の一社であるツェーリーン・ホル社は今年、計2700㌶で小麦を育てている。暫定計算によれば4000㌧の小麦収穫が予測され、主な購入業者はアルタン・タリア製粉株式会社だという。

 ツェーリーンホル社のJ.ガントゥムル社長は「今年は数カ所で小麦を栽培しており、良い農地から1㌶当り20キンタル、他の農地からは10~15キンタルを収穫している」と述べた。非専門家の目から見ると、隣接する二社の農地の育ち具合は異なる。わずか300㍍離れているにもかかわらず、一方は高収穫量でもう一方は少ないのが興味を引く。その理由は、以前コガネウマゴヤシ畑(Medicagofalcata)だったのが今年は高収穫量を生み出しているからだという。




シルチンジャブ農学者:コガネウマゴヤシ草1袋、タンパク質含有率で3~4袋草に相当

 コガネウマゴヤシという植物を育てると、その土地を肥やし、その肥沃度を高める。他の植物は土壌の栄養を吸収しながら育つが、コガネウマゴヤシは逆に土壌に栄養を与えるため、植物の「王」と呼ばれている。単なる土に栄養を与えるために栽培するのが目的ではなく、家畜飼料として使用されている。フーレイ・ハーニー・ヒシグ社のコンサルタントのTs.シルチンジャブ農学者は、コガネウマゴヤシ草の1袋は、タンパク質含有量の点で3~4袋の草に相当すると強調した。コガネウマゴヤシを専門に栽培するフーレイ・ハーニー・ヒシグ社は、今年、ツェール郡の三カ所の約300㌶で育てている。これらの農地は50年以上の連作のため不毛となり、作物の輪作から外されている。そこでコガネウマゴヤシを栽培し、生物学の方法で回復している。


農家が小麦栽培を拒否する理由は?

 トゥブ県ツェール郡は、自然および栽培用の粗飼料生産で、同県1位である。近年、農家は小麦栽培から粗飼料や油糧種子の栽培に移行している。農家らは、政府が設定した小麦価格は過去6年間変化していないが、燃料やその他の商品やサービスの価格は数倍に上昇していると述べた。そのうえ、農家は自費で小麦を製粉工場に輸送し、製粉工場は多大の減価償却を計算するなどから、小麦栽培への興味を失っている。一方、モンゴルの家畜数は2019年に7100万頭にも達し、過放牧及び干ばつやゾド(雪害・冷害)などの気象状況により飼料市場は拡大しつつある。


収穫に人手不足

 今年の収穫は、約1000台のコンバイン、約500台のジャガイモ収穫機械、約700台の穀物の選別、積込機械で、20日~25日間に完了させるよう計画しているが、農家らは、収穫期に人員が不足していると不満を語る。国家統計によると、8月現在の登録失業者数は1万8000人を超えたが、1日3万~5万トゥグルグで現場で働く人はほとんどいない。国家収穫委員会の決定により、今年の収穫のために国立農牧業大学から学生1992人と国立内務大学から学生500人が地方に動員された。ツェール郡では、そのうちの50人が配属されたが、この人数でも人手が足りない状況である。