濱田モビコム会長:私はモンゴル・パスポートを持って生まれました

特集
bolormaa@montsame.gov.mn
2022-04-21 16:19:22

モビコムの濱田達弥会長兼社長6年の任期を終えてKDDI本社に戻る。今後は「モンゴル観光大使」として、新たな活躍の場が


日本のKDDI株式会社の子会社で、モンゴル最大の情報通信事業者であるMobiCom(モビコム)社の濱田達弥会長が任期を終えたことにより、近々日本へ帰国する。濱田会長はモンゴルに6年間駐在し、モンゴルトップ企業の社長としての重要な任務を果たしただけでなく、モンゴル国、モンゴル人と近しく過ごした人である。2021年、モンゴル国大統領は彼のモンゴル社会に溶け込もうとする姿勢や業績を高く評価し、外国人に与えられる最高位の勲章である「北極星勲章」を授与した。さらに20223月に、観光・自然環境大臣により、モンゴル国初の「観光大使」として任命された。今後、日本での一層のご活躍を念じ、帰国前のインタビューをお願いした


――モンゴルでの任期満了、お疲れ様でした。また、「観光大使」のご就任、おめでとうございます。モンゴルに初めて来られた時の、一番印象に残ったことからお聞きしたいです。

6年前に初めてモンゴルに来ました。それまでの印象は多くの日本人と同じく大自然と牛、馬、羊、赤いホッペの子が馬の前に立っている風景写真という典型的な旅行ガイドブックのイメージでした。しかし、ひとたび来てみると、国際空港があるウランバートルは大都市で、高いビルが沢山建っており、イメージと全く違っていました。我々のようなビズネズパーソンの観点でみても様々なビジネスが発達しており、世界クラスのマイニング事業があり、またテレコムIT産業も非常に成長しています。その姿は、日本人だけでなく、世界の多くの人々がもつモンゴルのイメージと全く異なる姿がここにあることに非常に驚きました。


――6年以上の滞在で、お気に入りの場所や興味を持ったことなどについてお話しください。

とても沢山ありますね。実は、意外とモンゴルの厳しい冬も好きです。冬期は−30度、−40度になりますので、寒いといって嫌がる人が結構いるのですが、田舎の方に行くと本当に真っ白で、地平線まで真っ白になるとても美しい風景があるのです。こういう風景は日本にはないですね。また夏の大草原も好きです。それが場所によって変わり、ドルノド県やスフバートル県などの東の方は草が長く大平原が広がり、ボルガン県やアルハンガイ県は草が短く、岩山などにも広がる緑が色鮮やかで、青い空とのコントラストが非常に綺麗です。西にはアルタイ山脈などの高い山々、そして北には湖水の透明度が非常に高いフブスグル湖、南には広大なゴビ砂漠などの異なるシーンが多くあり、一つを選べないのです。


――モンゴルの21県は全部行きましたか。

もちろん。21県を二周はました。県によっては34 回、それ以上の回数も行きましたよ


――モンゴルの情報通信分野、その技術、インフラ設備などを含めて発展度合はどのレベルだと評価していますか。近い将来についてもうか がいたいです。

 モビコム社の話しからいうと、私が来るまでは3Gが主流 でした。しかし、私がモンゴルに来た2016年に4Gの導入が開始されました。今では5Gの話を進めています。実は日本で4Gが導入されたのが201111月〜12月、モンゴルで は、20163月に導入されました。日本から遅れること約 4年から5年の後に導入された と言うことになりますね。5Gとなりますと、日本では昨年 3月から4月に導入され、今で は全国展開が進んでいます。モンゴルは今の政策に沿うと、来年の後半から5Gを導入 するということになりますが、おそらくこの時期は早ま ると思います。つまり日本の約2年から3年後となります。 このようにこれまでの実績をみると、モンゴルの情報通信分野は徐々に日本のテレコム産業のスピードに追い付いて来ています。これは特筆すべき大きな事です。 4Gの話に戻りますと、2019 年からはモンゴル全国21 330郡、モビコム社の4Gが使 えるようになりました。そうすると、携帯電話をご利用される皆さんは段々とスマートフォンによるデータ利用を日常的なものとし、その利用は 見る見る広がりました。 6年前は、まだ折畳み式のフィーチャー・フォンを使っている利用者が非常に多くいて、2016年にはスマートフォ ンの使用率は43%でした。今 はその使用率は85%近くになります。これは世界的に見ても本当に高い数字なのです。 世界には、スマートフォンの 使用率が40%台の国々が未だ 沢山あります。モンゴルは経済的には先進国ではないのですが、情報通信分野に関しては先進国と同様に発達していると思います。


――インターネット速度や スマートフォンの使用率は先進国と同じように発達してい るということで、その中で、 今後より重要となる分野は何 だと思いますか。

 スマートフォンの普及により、色んなアプリケーションを使ったビジネス、生活の必需品としてのアプリケー ションの利用が定着化され ました。そのようなトレンドを更に加速させたのがコロナ でした。コロナ感染拡大の対策としてのロックダウンや、 リモートアクセスによるビジ ネス・ライフスタイルの変化は、アプリケーションを使ったサービスを一気に加速化させました。モンゴルではアプリケーションにおける開発能力が非常に進んでいると思います。実はモビコムグループの「モンペイ(MONPAY)」というアプリケーションは他国 でも類似のアプリケーション サービスとして導入され、 大変多くの人々に利用されています。モビコム社の株主であるKDDI株式会社(本社:東京)はモビコムのアプリケーション開発能力を認め、近い 将来アウトソーシングとして日本で利用されるサービスの 一部の開発業務をモビコムに委託するといった話も具体的に進んでいます。これはモビコム社だけでなく、モンゴルのICTIT産業が世界でも通用し、認められる高いレベルにあることが証明されることを意味します。今後はより成長すると思いますし、鉱山産業、観光産業に依存しない、 世界に売り出せる一つの重な産業にまで成長させることが出来る分野だと信じております


――近々日本へ帰国されると聞きましたが、これまでの お仕事の結果をどのように受け止めていますか。

私は駐在員としてモンゴル に来ました。一般的にモンゴルに来る駐在員は2年から 3年間で駐在任務を果た して、帰国することが多い です。これは日本だけでな く、他国の駐在員も同じでしょう。私は62ヶ月間いまし たが、モンゴルのトップ企業 の社長というポジションに 着きましたので、業界だけでなく、モンゴルの産業界・経 済に影響を与えなければいけないと考えていました。そして、これらの条件を含めて考えたのが、一人の駐在社長としてこの会社の数字を上げる だけではなく、この国で何年 も生活していく上で、モンゴルの皆さんの記憶に残ってもらえるような社長になることを目指しました。つまり記録ではなく記憶に残る人 す。自身の足跡を残したいと常に考えていました。社長は会社のブランドそのものでもあるので、会社の顔 にならないといけないということで、モンゴルの社会 や経済、コミュニティに深く入り込み、そして政界、 財界、多くの著名な方々 とも親交を深めました。一 方でプライベートにおいても、友人を増やしあらゆる交友関係を広げ、この国にどれだけ入り込めるかが一 番重要だと思いました。その結果、皆さんの記憶に残る一人になれるのでないかと考えていました。 国内外で開催される多数のフォーラムにも積極的にに出席させて頂きましたし、いくつかの業界・ビジネスアソシエーションのチェアマンやボードメンバーにも務めさせて頂きました。そうすることで現地を知る いうことを何よりも心掛けていました。そして国内21 県へも何度も行きました。 モビコム社には全国に70 80のショップがあるのですが、全ショップへ行きました。過去にそういう社長 は一人もいなかったと聞い ています。

   もちろんいい所だけではなく、どんな国にも光の当たらない所があります。ウランバートルの北側のゲル集落にあるゴミの廃棄場所 があるエリアへ何度か訪問しました。そこには幼稚園や学校にも行っていなく、 区の正式登録にも入ってない子どもらがたくさんい ます。その一方で、そこか ら数キロ離れたウランバートルの南側には裕福な家庭の子どもたちがいて、その ギャップが非常に大きいのです。そういう光と影も含めてモンゴルの一つの姿だと思います。実際に足を踏み入れて、この国の社会、経済を理 解し溶け込んでいくということを心掛けていました


――もしも公開可能なら ば、KDDIでの仕事について教えてください。

KDDIのグローバル事業セクターに戻ります。今度、責任を持つのはグローバル事業開発となります。モンゴルだけではなく、世界中でモビコム社のようなその国の社会、経済、人々に貢献できるようなビジネスを開発し、立ち上げていくという任務になります


――モビコム社での経験も活かせると言うことですね。

もちろんそうですね。日本に戻ってからもモビコム社の取締役会の会長としての任務もありますので、頻繁にモンゴルに来ることになります。


 ――少し話しを変え、観光 大使についてお聞きしたいのですが、日本でモンゴルの観光を進めるプロモーションる上で、濱田さんの方向性や 貢献はどういう所にあると思っていますか

今の時代、ガイドブックだけに限らずあらゆるSNSユーチューブなどの動画でモンゴルを知ることが出来ます。しかし、私は、それを実際に五感で深く体感しました。自分の目で見て、 耳で聞いて、馬の泣き声や草原の香りなどの五感を使って体験したことを日本の皆さんへ伝えていきたいと思います。コロナがはじまる前は、日本とモンゴルの間では毎日直行のフライトがあり、56 時間で来られるし、そして治安も非常に良い国なのです。 日本に絶対にない風景と景色を肌身で感じ取れるように伝 えて行きたいと思います。モンゴルの人々は日本人のことを認めてくれる所が沢山ありまして、それは言葉で表現出来ない程、感じ取ることが出 来ました。それに、私はモンゴル・パスポート(蒙古斑)を持って生まれました。日本人は生まれた時、みんな持っていました。当然外交上のパスポートはないんですが、モンゴルと日本は文化、社会、そして生活レベルで近い国であることも伝え て行きたいと思っております


――次にモンゴルに来る予定は決まっていますか。もし、モンゴルに来たら一番したいことは何ですか

ナーダム時期に来たいですね。過去2年間はナーダム祭はコロナの制限により見ることが出来ませんでした。 都市だけでなく、地方のナ ーダムに行くと、全然知らないゲルに入ってもご馳走してくれたり、話かけてくれたり、そのほのぼのとした雰囲気が大好きなので、 是非来たいですね


――コロナ禍にあっても、一番輝いている分野はITや情 報通信分野だと思いますが、 これらの分野への就職を目指している若者に向けて一言願いします

これまで2017から2022年にかけてボランティアで「モビコム学級」という活動をして来ました。そこで学生からは「将来モビコムに入りたいのですが、何をすればいいですか。今、私はこのようなことを勉強しているから、この道に進んだほうが良いですか」などの質問を良く聞かれました。私の答えは「これまで大学で学んだことだけで今後の人生を決めるんですか」と問います。モンゴルの若者で海外へ留学しMBAPhDを取る方が沢山いますが、過去の話を全面に出していくのではなく、これから会社に入ってから何が出来るのかという未来の話が重要なんだと思います。大学では専門性のあ勉強を4年、修士号までであれば6年間は勉強しますが、 一旦会社に入ると、今後は何年働くのですかということになります。つまり、それまでの学業や経歴の時間より、はるかに長い時間が未来にあるのです。ですから、今後30年の人生を46 年間で決めないで下さい」と言います。ちなみに、私は、モビコム社で社長をやり、ICTやテレコム業界では 25年間もいますので、この業界においてそれなりのプロだと思っております。しかしそんな私も、大学での専攻は、実は西洋史なのです。でも、私は自分の専攻を全然後悔していません。 今の私のビジネススキル、 知識、ノウハウは全て会社 に入ってから学びました


――日本への帰国を前にして濱田さんご自身、そしてモンゴルのトップ企業であるモビコム社の社長、新たにモンゴル国観光大使としモンゴルの人々に残したい言葉をお願いします

モンゴルの皆さんの強みは柔軟性があって適応力が高いということです。しかし言葉には裏と表があり、柔軟性と適応力が高いということは、何があってもやり遂げるということに対して弱いということなります。 日本人の強みは恐らく持続性と計画性、つまり一貫性が強いということにあり、 もちろん裏を返せば、一つの事に対してしがみつくような性格を持っています。モン ゴルの皆さんは柔軟性と適応力、そして持続性、計画性と一貫性のバランスをいかにうまくコントロールし、行動していくかということが大事だと思います

――ありがとうございました。今後のご活躍を大いに期待しています


(写真:Baramsai Chadraabal.)