Mobicom会長&社長:濱田達弥さん:グローバルプレーヤーの夢は“世界のMobiCom”への飛翔!

特集
naranchimeg199@gmail.com
2018-04-02 09:18:26
 モンゴルの総合通信事業の最大手Mobicomは、1996年3月、KDDI、住友商事、Newcom LLCとの共同事業で会社を設立、モンゴルの通信事業に参入した。以来、携帯、固定通信、衛星通信、ICT分野において幅広いサービス展開とモンゴル経済発展に寄与してきた。2年前2016年3月、KDDIは過半数の株式を取得しマジョリティーシェアホルダーとなり、MobiComはKDDIグループに海外主要事業の一つとして連結化された。これを機に、濱田達弥氏が会長に就任。現在は会長兼社長として1500人の社員を率いる。ジムで鍛えた精悍な身体全体から漂うオーラは、ただ者でない印象を与える。しかし、語る口調は穏やかで、長年のヨーロッパ勤務で培ったジェントルマンの風格がうかがえる。1974年1月6日生まれの44歳。妻と子ども2人。
 
――今年2月、モンゴル商工会議所から最優秀企業として「シルクロード」賞を受章され、おめでとうございます。一昨年には「アントレプレナー アワード トップ10 」、昨年5月にはモンゴル初の、働きやすい職場環境の整備が評価され、「ベストエンプロイヤー賞」を、さらに12月にはモンゴル経済の発展に寄与した最高上位の企業として「アントレプレナー アワード グランプリ」を受賞されました。この国で日系企業Mobicomが文字通りトップ企業に成長した秘策は何だったと思われますか?
 22年前、この国で初めてモバイル事業を開始しましたが、モビコムの歴史そのものが、モンゴルのモバイル産業の歴史といってもいいでしょう。この国では政治情勢が頻繁に変わりますが、それに伴い関係省庁、規制監督庁も頻繁に変わる。当然、あらゆるポリシー、規制も大きく変わる。その波にもまれながらもビジネスの軸をぶらさずに頑張ってきたのが大きな主柱で、成功のカギであったと言えるでしょう。所感ではあるが、モンゴルの良くないところはあらゆる面で軸がぶれることを多く目にする。長い目で見ると海外の投資家はそこが心配で慎重にならざるを得ない。
 
――この国のビジネスでの難しさはどこにありますか?
 私は過去、東京本社からロンドン、デュッセルドルフ、フランクフルト、ブリュッセルなどヨーロッパの市場で7年間仕事をして来ました。KDDIのグローバル事業にはもう20年近く携わっております。一人のグローバルプレーヤーとしてモンゴルを眺めるとこのように感じます。国土は大きいがマーケットは極小で首都に集中している。政官民の関係が近い。民同士も近い。いい意味ではコンパクト、悪く言えば近すぎる。その中でどう振る舞うかが一番難しい。政府の方針や担当者が代わると新たな関係の構築を深めないと出来ない。一から説明するリスクも負う。また、市場における競争が過熱し過ぎ、明らかにルールやBusiness Ethics を逸脱していても放置されているケースを多く見る。更には、一企業のトップが露骨に競合他社、個人をSNS上で口撃することも多々ある(私も頻繁に口撃されているようですが)。私は会社の看板を背負っており、Mobicomを通じこの市場を成長させ、お客様に期待以上の感動をご提供することがミッション。その為に社長として、Mobicomとそして私の後ろにいる優秀なエグゼクティブメンバー、更には全国にいる1500名の社員をリードしているのです。実際に、あらゆる場面で具体的な考察と手段を持って頑張ってくれているのは彼らなんです。
 
――若い優秀なスタッフが多いと聞いていますが、社員は総勢何人? 支店数は? 平均年齢などを教えてください。
 社員は現在1500人。全県にある支店は64。平均年齢は28歳です。若いが優秀な人が多い。社員年齢は大変若いですが、リーディングカンパニーとしての歴史と経験でしょうか、非常にしっかりした会社です。22年の経験を持つ方なども活躍しています。30代のエグゼクティブは大半が英語を話し、テキパキと動く。日本人は私を入れてKDDIから7人来ています。
 
――しかし、モンゴル人は能力が高いほど会社を変わるといいますが...。
 そうですね。ここでも出来る人はホップ、ステップ、ジャンプで次へ出て行き、また戻ってくるケースもあります。将来を期待するスタッフが辞めてゆくのは残念ですが、すぐに才能あふれる若い人が集まってくる。恵まれた会社ですよ。当社のエグゼグティブは留学や海外帰りが多い。または、家族がいてもこれからスカラシップに応募したりする出ていくのに全くこだわりがない。何百年前に世界制覇したモンゴル人の高いコミュニケーション能力と順応性がある。遊牧民族の血ですかね。社長としての一つの夢は、スタッフに海外へ行くモチベーションとチャンスを用意してやり、KDDI本社だけでなく、KDDIのもつ海外のグループ企業り出したいと考えています。私はロンドンで4年、それからドイツ、ベルギーと通算7年、転々と外を廻った。そういった経験を社員にも味合わせてあげたい。この小さな市場において、ある意閉塞感を感じているスタッフにとっては、これは心に響くのではないでしょうか。また、戻って働いてくれればいい。私は、KDDIのカラー一色にしたくないのです。“モビコム”というブランド・カラーを作って生き延びて来られた。モンゴルブランドで世界へ向けて成り立つ会社にしたいのです...。
 
続く