国家イノベーション「オルホン種ヒツジ」 頭数激減、超高級靴下で挑戦

経済
gombosuren0625@gmail.com
2020-05-12 16:48:15

 登山家、B.ガントルガ氏はハイキング・ウォーキングに11年、登山に5年頑張っている。その間、オーストラリア製やニュージーランド製、カナダ製、ドイツ製の数多くの靴下を試した。なぜなら靴下絡みのうおの目やネイル破損、水虫の発症といった足のトラブルに見舞われたから。ヤク毛から様々な商品を試すが、結果的にダメ。登山・ハイキングには優れた保湿機能の素材の商品は必要不可欠だ。ガントルガ氏は「肌にべたっとつかない、なおかつ1日中靴を脱がなくても大丈夫で、保湿性に優れ、足にやさしい羊毛靴下を愛用している」と語る。羊毛製の靴下との出会いはある日、アマル博士が「僕が作る靴下を試してみたら」とさりげなく話した一言だった。

 普段から日本の調査・研究とよく関わっているとのイメージしかないアマル氏からいきなりヒツジ、羊毛、靴下の話が飛び出るは思いもしなかったから正直びっくり。今では、アマル氏が作る靴下は、ガントルガ氏の日常生活に欠かせないほどの必須アイテムとなった。

 海外派遣組36人、一人はヒツジの品種改良を志す

 当時は人民革命後の新政権の発足から間もない1926年。海外知識を吸収させる人材養成のためにダシドルジ・ナツァグドルジ氏をはじめとする36人は海外留学組としてドイツやフランスへ派遣された。その一人は、パリ・ミシュレン学校派遣のT.アユルザナ氏。ある日、アユルザナ氏は担任の先生と外出。外出途中、放牧するヒツジの群れに遭遇。先生に尋ねると、担任から「羊毛用ヒツジだ。君のコートもこのヒツジの毛でできているのだ」と言う答えがあった。それ以降、羊毛への関心が高まり、「母国で柔らかな毛が取れるヒツジの品種改良をしたい」と夢見るようになった。同氏は1942年、家畜全般の毛の採取と加工に関する技術方法を盛り込んだ「原毛は黄金」という著作を出版。それ以降、「原毛は黄金」という言葉が流行し、原毛の価値は改めて高まった。同氏は1945年、畜産業開発を目的のモンゴルと旧ソ連の共同研究に加わることとなった。ヒツジの品種改良に関する研究は約20年を経つ1961年にようやく実を結んだ。繊維が細いヒツジのオルホン種が誕生した。新種の誕生とともに、アユルザナ氏は国家功労賞を授与した。オルホン種とは毛色が白く、羊毛の繊維の太さが20~26マイクロン。1頭から約4.5㎏の羊毛が採取される。その頭数は1961年から30年間で24万3000頭まで増えており、その間の売上額は約1000億トゥグルグ(1990年代の1米㌦当たり4.02トゥグルグで計算すると、約247億米㌦)となる。

 放牧地開発と放牧管理技術イノベーション

 アユルザナ氏の娘、エルデネチメグ作物学者は亡き父の

志を継承した。彼女は1976年から、オルホン種だけの飼料作物づくりに励んだ。国内外のマメ科1年草や多年草を比較しながら研究した。1991年から約22年の奮闘の末、2011年に新品種飼料作物「マンダル種」の開発に成功した。彼女は干ばつや雪害(ゾド)、害虫、病害に強く、繁殖力と栄養が高い、寿命が長い品種を採取して実験から実験を重ねた。だから、「マンダル種」は「おきなぐさ」より早く3月ごろ、つまり春先から育成が始まるという。マンダル種は多年草で約30年間生きられるが、特に手入れを必要としない。放牧地づくりや砂漠化した地帯の再生、鉱山開発後の自然再生、林野火災後の自然復興などに最適として有力視される。環境的に厳しい地でも生き生きと育つマンダル種はまさに研究者の長年に渡っての研究成果の結晶といっても過言ではない。また、モンゴルの農畜産業において意義ある進歩となった。

 靴より高価な靴下か?それとも未評価の知識か?

 90年代に入ってから繊維産業が衰退。オルホン種の頭数も減少した。家畜の民営化が施行された1997年に約15万頭と数えられたオルホン種ヒツジは現在、約3000頭へ急減した。羊毛産業の可能性を探りにモンゴルを訪れたある日本人は、オルホン種ヒツジの運命を聞いてとても悲しんで帰国したという。事態の深刻さを痛感したエルデネチメグ作物学者は2000年にオルホン種の血統を守るために少数を購入したという。かつて農業を支えるほど、生産性があった国内羊毛産業は現在、跡形もなく衰退してしまった。

 エルデネチメグさんは2017年にオルホン種の羊毛をもっと活用しよう、工業品を作ろうと企画。だが、2018年に急逝。夢は息子アマル氏へ託された。アマル氏は日本で教育を受けたインテリアで、現場の仕事には無縁だった。彼は地方出張から帰宅した後、飲み席である日本人と知り合った。彼はモンゴルを訪れ、オルホン種の運命を悲しんだその日本人本人であった。二人はオルホン種について話が弾み、アマル氏は事業展開についていろいろアドバイスをもらったという。アマル氏はその年、ヒツジの毛を刈り取った後、洗毛等を自ら行い、サンシロウという会社に毛糸を委託した。その後、セール期間を設け一足15万トゥグルグの高級靴下390足の製造に成功した。今年の5月よりアメリカ、北アメリカ地域に一足610米ドルで販売企画中だ。アマル氏は自らブランドを母の名前に因んでイタリア語の「テゾロ・フロレアレ(宝)」と称した。テゾロ・フロレアレの靴下はわずか390足しか生産されないほどの希少性と唯一性がある。これは、特に購買力の高い消費者層を対象の輸出志向製品。イタリア語でのブランディングは、繊維製品で有名なイタリアへの輸出を意識したからである。一足一足はそれぞれの生産ナンバーを有する。アマル氏が言うに「ソーシャル・マーケティングを展開して間もないが『超高価。ばかげている』等の反響があった」。「中国大量生産の靴下を履く一般消費者からすると、靴並みの価格で靴下を購入するとは考えられないだろう」とアマル氏が理解を示すとともに「これは普通の商品ではない。祖父が品種改良したオルホン種と母が開発したマンダル種を合わせて出来た物。高価であっても当然だと思う」と語った。

 オルホン種ヒツジ82年間生きた「宝」

 オルホン種は約82年に渡って生きた「宝」である。現代の市場原則では、価値はどれほどの知識・科学技術イノベーションが活用されているかで決まる。だから、アマル氏の海外在住の知人・友人らは決して高価だと言えないと言う。テゾロ・フロレアレの靴下がどんな材料とどれほどの手間がかかっているかを知ることこそが、顧客の購買意欲を高める。アマル氏が言うに「このセーターはモンゴル産カシミヤで作った」だけでは物足りなく、むしろ「この種のヤギから採取したカシミヤで製造した」と言うと、高付加価値が発生する。ブドウの一種のみで勝負する農村はヨーロッパにはたくさんある。アマル氏は「資金調達やマーケティング、販売といった事業課題は山積みだが、イノベーションや技術革新を取り入れた商品開発を適切に評価しない意識を改革していく課題もある」と語る。昨年、フェイスブック上の「テゾロ・フロレアレ」アカウントにあるモンゴル人は「外国語でのネーミング、商号などのすべてを禁じるべきだ」と反対するコメントを寄せた。その一方、ドイツ・バイエルン州在住の顧客から「テゾロ製マフラーは薄いのに温かく、色合いも良く、いつも温かく包んでくれる。何一つ文句がないわ」と喜びを表している者もいる。