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日本の高専教育システムのノウハウをモンゴルの国策にした男


2017-11-10 13:34:05
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(左から)ダムディンバヤル、ガンバヤル
(追悼文)     モンゴル国立科学技術大学付属高等専門学校「コウセン」の初代学長、アレクセイ・ガンバヤル氏
 
 モンゴルへの日本式の高専教育システム導入を夢見て、尽力したA.ガンバヤル氏が今月11日に45歳を迎える3カ月前に早逝した。彼が始めたことは大きく実を結び、モンゴルの若者たちが勉学に励み、国の将来のために貢献しようとしている。
 A.ガンバヤル氏は、アルハンガイ県ツェツェルレグ市生まれ。幼少期からの成績が良く、特に数学に関して抜群の才能を誇る子であった。1990年9月1日に国立技術大学・外国留学予備校に入学した際、既に郡の学校で数学教員を1年間務め、2年前に国内数学オリンピック制覇を果たした優秀な青年であった。
 その翌年、日本政府奨学金の受験。合格通知とともに彼は生涯を日本という国とともにした。彼はその最期を高専教育のモンゴル普及に捧げた。高専教育は、生徒が15歳から入学を果たす5年制のもので、卒業時には、大学生と同レベルの教育を受け、同時に理・工学系の学力と実践という両面の能力を身につけるものだ。
 彼は1996年の高専卒業と同時にIT製品販売社に入社。この入社が彼の後世に大きく影響を与えることとなった。普段はパソコンやプログラム、関連部品を扱ったが、顧客のニーズに応じてパソコンの組み立ても行った。臨機応変に対応するその職業は販売員じゃなく、むしろITエンジニアそのものだったという。その後、彼はソフトウェア開発の「富士インフォックス」社に転勤。その間、ソニー、富士通、IBM、VISACARDなどのプロジェクトで働いた。


ディジモ社社員一同 2008年
(ディジモ社社員一同 2008年)
 


 私たちは「モンゴルをインドのようにITオウトソーシングの国にしたい」という大きな夢を追っていた。人材育成の必要性から、モンゴル国立科学技術大学付属の母校で「富士インフォックス」社の協力を得て、コンピューターラボを開設した。当時のエルデネバータル学長も積極的に在校生から優秀なものを抜擢したりして協力してくれた。ガンバヤル氏は、社会活動にも積極的であった。日本でのモンゴルの最大イベントで知られるようになった在日モンゴル人留学生会の創設メンバーの一人であった。1996年に当時の在日モンゴル人留学
生20名が在日大使館に集まって立ち上げたのが、留学生会の始まりであった。彼は、ハワリーン・バヤル開催執行委員会メンバーとしても活躍した。在日モンゴル人留学生会にとって尊敬に値すべき存在であった。
 今から10年前のある日のこと。突然、彼から相談に乗ってほしい、と連絡が入った。IT関連会社の起業だっ
た。私にとって学生時代からの夢であったから迷いもなく乗った。私たちの夢は、モンゴルへ情報処理技術を導入し、モンゴルの大草原からグローバルへのビジネス展開であった。
 会社は「デジモ」。日本でのモンゴル人による初のIT会社だ。従業員20名ほど大きくなった。元在日モンゴル人留学生に加え、モンゴルからの優秀なエンジニアもたくさんいた。役員たちは、ガンバヤル氏のほか、D.オトゴンバートル、Ts.ナンデインバートル氏であって、若きエンジニアたちの生活や仕事面でのフォローに追われる毎日であったという。残念ながら、多くのIT関連会社が廃業となった2008年の世界経済不況の衝撃がデジモにも及んだ。今は、デジモの元従業員らが日本とモンゴルのほかに、先進国で活躍している。
 彼は2012年、日立建機のグローバル・システム開発部に転勤。ロシア・トヴェリへの出張も多く、同社のロシア工場建設事業の設計から操業までのすべてに関わった。そこで得た知識をいつかモンゴルで活かして工場を建てることが彼の夢であった。任された責任重大な仕事をしっかりこなした彼を誇りに思う。
 彼の人生の中で最も重要な意義がある仕事が日本式高専教育の導入であっただろう。2000年代の初めごろか
ら、モンゴルが世界市場で競争できるのには優秀な人材が必要だ、と彼は力説していた。また、優秀な人材を養成するには日本式高専の仕組みのほかはない、と語っていた。だが、なかなか始められなかった。というより、むしろ始める術が分からなかったという。元都立産業技術高専校長を務めた藤田安彦先生とお会いしたときから、彼の夢が実現に向けて動き始めた。
 モンゴルにモデル高専を創設する執行委員会が立ち上がった。また、モンゴル人高専卒業者協会が設立され、初代会長にガンバヤル氏が就任。これには、新モンゴル高専学長のSh.ボヤンジャルガル氏、国立科学技術大学付属高専のN .ガンビレグ氏らが尽力した。2010年、当時のTs.エルベグドルジ大統領は日本への訪問の際、笹川陽平日本財団代表理事会長との会談で「モンゴルは工学系の人材が不足だ」と協力を求めたという。
当時のジグジド在日大使や外務省の関係者のおかげもあって、会談は成功裏に終わった。
 その後、モンゴル高専を創る動きが一層活発になった。2度の調査団の現地派遣の末、笹川平和財団の支援を得て2013年10月にモンゴル初の「高専学校」が工業技術大学付属学校として誕生した。同期のセルゲレン総長が後押しした。その翌年、国立科学技術大学付属学校と新モンゴル高専も相次いで開校となった。
 2016年11月、日本高専機構は初の海外オフィスとなる「高専機構モンゴルリエゾンオフィス」をモンゴルで設置。同機構の積極的な海外展開がモンゴルから始める流れにはガンバヤル氏の寄与が大きい。今、リエゾンオフィスの代表を務めているのは、高専への先駆者の一人であるTs.バイガルマーさんである。モンゴルを高専に係る地域の中心地にしたい、研究活動がモンゴルからアジアへの流れを作る。これが彼の本心である。りゅうちょうな日本語を話せて日本の文化や慣習に馴染んだ彼は、仕事熱心で努力家であった。問題にぶつかったら、まず自ら解決策を見出していこうとする活発な人であった。彼はアジア太平洋地域「ロボコン」2019年大
会の招致活動も行っており、それも実現される見通しだ。彼が自ら掲げた目標である「高専教育」は、今もモ
ンゴルで健全に機能しており、国の将来を担う若きエンジニアたちを世に送り出し続けている。モンゴル人のエンジニアの賢さに対する世界がくれた評価への彼の貢献は計り知れない。彼の成し遂げたことは、彼の功績のすべてを物語る。
 ガンバヤル氏が志した目標である国の発展を弟子や同僚、友人の私たちが引継ぎ、高く掲げていくだろう。

(左から)ブヤンジャルガル、ガンバヤル、淸水武則前駐モンゴル日本大使、バイガルマー、セルゲレン
(左から)ブヤンジャルガル、ガンバヤル、淸水武則前駐モンゴル日本大使、バイガルマー、セルゲレン




D.ダムディンバヤル
在日モンゴル留学生会、初代会長